(注)初脱ぎの年月日は媒体の発行日に準じています(発売日とは異なります)
01 小島聖
1999年1月13日
レスラーのようなガタイに仰天
【初脱ぎ媒体】
「West by South」1999年1月13日発行 朝日出版社
子役としてNHK大河ドラマ「春日局」の千姫役(1989年)をはじめ、数多くの映画、ドラマで活躍。その後「Ban16」「花王ビオレU」などのCMに起用され、美少女アイドルとしても注目を浴びた小島聖。やはり彼女の名前を世間に知らしめたのは映画「Night Head」(1994年)で共演した豊川悦司との不倫騒動だろう。結局2年間の同棲生活を経て破局。愛の巣から引き払う小島の姿は女性誌で大々的に報じられた。こちらはそんな悲しい女のイメージを一掃するかのように発売した初ヘアヌード写真集。予想以上に大きなバストとヒップは嬉しかったが、広い肩幅、太いウエストなど女子レスラーのように骨格がしっかりしているのにはビックリだった。この年は「完全なる飼育」、「あつもの」と彼女の主演映画が2本も公開されスクリーンでもそのパワフルなボディを披露していた。
02 木村衣里
1999年1月29日
殺人事件で脚光を浴びたレースクイーン
【初脱ぎ媒体】
「ERI」1999年1月29日発行 スコラ
マツダのボンゴ・ガール(1996~1997年)をはじめ、人気レースクイーンとして活躍していた木村衣里の初ヘアヌード写真集。前述した織田良子に続く、スコラのRQヌードシリーズ。当時のスコラはアイドルに替わる被写体としてレースクイーンを推していた。砂漠地帯で全裸をさらした木村。その後も2冊の写真集、10本以上の映画でヌードを披露。90年代末から00年代初頭の彼女はVシネクイーンと呼ばれるほどの勢いがあった。再び彼女の名前が再び取りざたされたのは2008年2月。同年1月下旬に53歳の内縁の夫がケガをしたと119番通報し、男性が死亡したため事件発生から6日後に殺人容疑で逮捕されたのだった。結局、“殺意はなかった”として傷害致死容疑で起訴された彼女は懲役2年6月の刑を言い渡された…。
03 甲賀瑞穂
1999年2月10日
1994年カネボウ水着キャンペーンガール
【初脱ぎ媒体】
「glam」1999年2月10日発行 ぶんか社
1994年カネボウの水着キャンペーンガールでViViモデルとしても活躍した甲賀瑞穂。どんどん崩れていく顔や体のラインを嘆くモデルマニアも多かったが、20代半ばでヘアヌードを披露。場末の風俗嬢のような雰囲気の作風がちょっと残念だった。続いて1999年12月に公開された主演映画「続・バブルと寝た女たち」では髪を振り回してのベッドシーンを熱演。男に揉まれて勃起する乳首がエロかった。
04 裕木奈江
1999年2月15日
ヌードは男に媚びなかった
【初脱ぎ媒体】
「UNRELEASED FILMS」1999年2月15日発行 バウハウス
もともとは女子高生モデルの裕木奈江。1987年頃から田辺奈江、田沢奈江という名前を使いこなし男性誌の水着グラビアで活躍した後、1990年の映画「曖・昧・Me」で本格的な芸能界デビューを果たした。出世作となったドラマ「北の国から’92巣立ち」を経て、秋元康が企画したドラマ「ポケベルが鳴らなくて」の主役に大抜擢。そんな中、“ドラマの役柄だけでなく裕木奈江のキャラクターそのものが世の女性たちのひんしゅくを買っている”という趣旨の記事が突如発表される。書いたのは「週刊文春」で、それを皮切りに裕木奈江ネガティブキャンペーンと呼べるほどの大バッシングが勃発した。こちらは人気が急降下し仕事が数えるほどになっていた頃にリリースされた初ヌード写真集。かつてないワイルドさで新しいイメージにチャレンジ。全身を真っ黒にするなど賛否両論だったが、無駄な脂肪が一切ないボディが躍動するなど見応えは十分だった。プライベートでは同年、この写真集のヘアメイク担当をした男性と結婚。交際時には男性には妻子がいたこともあり、「フライデー」誌上で元夫人が略奪婚に及んだ裕木への怒りをぶちまけていた。続いて2000年公開の主演映画「おしまいの日。」でもヌードを披露した。
05 小野砂織
1999年2月15日
1997年旭化成水着キャンペーンガール
【初脱ぎ媒体】
「treasure」1999年2月15日発行 ワニブックス
小野砂織は鈴木京香も所属していた「SOS仙台」出身のモデル。1997年、旭化成水着キャンペーンガールに抜擢され、TBSのバラエティ番組「ワンダフル」のワンギャル1期生としてその名を売った。ワンギャル卒業後に発売されたのがこの初ヘアヌード写真集。本作はベストセラーとなり、そのギャラでクルマが買えたらしい。続いて1999年5月公開の主演映画「ZERO WOMAN 最後の司令」でスクリーンデビューした。
06 三井美佳(桜っ子クラブさくら組)
1999年3月10日
太陽とシスコムーンへ参加できずに裸を披露
【初脱ぎ媒体】
「Eternal」 1999年3月10日発行 スコラ
乙女塾7期生のメンバーとして加入した後、 1991年にテレビ朝日「桜っ子クラブ」内のオーディションに合格、桜っ子クラブさくら組に参加。さくら組の解散後は目立った仕事がなく、1998年に行なわれた「ASAYAN」のつんくプロデュース芸能人新ユニットのオーディションに出場していた。オーディション合格者は後に太陽とシスコムーンを結成するのだが、彼女はあえなく落選。そして起死回生を目指して挑戦したのがこちらのヘアヌード写真集というわけだ。素人ハメ撮り風の作風はファンにとっては泣きたいような内容だったかもしれない。発売直後に版元のスコラがなんと倒産。流通期間は非常に短かった。
07 島田沙羅
1999年7月1日
当時デーブ・スペクターが大絶賛していた美裸身
【初脱ぎ媒体】
「mina」1999年7月1日発行 バウハウス
90年代初頭はオスカープロモーションのヤング部に所属し、雑誌「レモン」のモデルや数本のCMに出演。その後事務所を移籍して女子高生モデルとしてブルセラ雑誌を中心に活動していた島田沙羅。矢部美穂と共演したOV作品「コスプレ戦士 キューティナイト」(1995年)ではコスプレアイドルという新ジャンルを確立し、マニア人気を獲得(キューティ・ナイト名義でCDデビュー)。そんな美少女キャラで売った彼女だが、あっと驚かせてくれたのがこのヘアヌード写真集。人形のようなスタイルとツルツルのお肌が見どころで、まだまだ蕾のような体には感激である。
08 桜庭あつこ(GABU GIRL)
1999年7月1日
梅宮アンナに“それ”と一蹴された巨乳アイドル
【初脱ぎ媒体】
「Careyes 」1999年7月1日発行 ルー出版
デビュー以前に芸能人御用達の飲食店で働いていた桜庭あつこ。常連客だった和田アキ子は“タレントになりたい”と相談されたこともあるらしい。GABU GIRLのメンバーだった桜庭はアイドルファンの間ではそこそこ知られていたが、世間的にはまったくの無名。梅宮アンナが桜庭と羽賀研二の関係を報道陣から質問された際に“それが羽賀と何かあったんですか?”と一蹴されたのはあまりに有名な話。そもそもの騒動の発端はVシネマで羽賀と共演した桜庭が“羽賀研二さんが好きです”と発言したことだった。梅宮アンナと復縁したがっていた羽賀はこの発言を売名と非難。羽賀の火遊びで急浮上した彼女は、ここぞとばかりヘアヌード写真集を発売した。異様に大きい乳房が衝撃的。その後は女子総合格闘技大会に出場したことなどが話題になったが、羽賀が恐喝で服役している現在、彼女はきっと巨大な胸をなで降ろしているに違いない。
09 若林志穂
1999年7月15日
まだ20代だった85年組アイドル
【初脱ぎ媒体】
若林しほ「S」1999年7月15日発行 ワニブックス
1983年の「タモリのキラキラ美少女コンテスト」に出場した後、1984年の第1回レブロン・アクアマリンイメージガールオーディションでグランプリを獲得した若林志穂。その特典で翌1985年に歌手デビューした時の年齢は弱冠13歳だったというから驚きだ。ほとんど歌番組に出る機会がなかったが、主演をつとめたドラマ「わが子よVI」(1986年)をきっかけに女優の道を歩き、TBSドラマ「天までとどけ」シリーズ(1991年~)で知名度を得ることになった。童顔でいつまでも子供といった感じの彼女。20代後半を迎え、若林しほ名義でリリースしたのがこちらヘアヌード写真集。どちらかというと男好きのする体ではないが、イメージをうち破ろうという意気込みが感じられる。その後、主演映画「張り込み」(2001年)でも裸を披露した。
10 小林梓(カントリー娘。)
1999年8月20日
内緒でした裸のお仕事が
バテてグループをクビに
【初脱ぎ媒体】
森田ひろみ「again4」
1999年8月20日発行 海王社
里田まいのソロユニットとしてかろうじて存続しているカントリー娘。その初代メンバーだったのがこの小林梓だ。CDデビュー予定日(1999年7月23日)の1週間前にメンバーの柳原尋美が不慮の事故で亡くなるなど波乱のスタートとなったが、小林にも予期せぬ出来事が起こる。なんとカントリー娘。結成前に撮影されたと思われるヘアヌードグラビアが一冊の写真集としてリリースされるという事態に...。CDを発売したばかりに発覚したスキャンダルだっただけに有無を言わさず脱退を余儀なくされた彼女。この森田ひろみと名乗るヌードモデルがなぜ小林梓と同一人物だとリークされたのかは謎。確かに歌手にしておくにはもったいない体ではある。
11 井上晴美(桜っ子クラブさくら組)
1999年11月15日
バレーボールのようなおっぱいが圧巻
【初脱ぎ媒体】
「LIVE」1999年11月15日発行 幻冬舎
14歳の時に本名の北村仁絵で第4回ロッテCMアイドルは君だ!オーディション(1989年)に出場。グランプリは宍戸留美にさらわれたが本戦まで残る健闘を見せた。1991年にテレビ朝日「アイドル共和国」内で行なわれた第1回HOP!STEP!とびだせアイドル決戦大会で合格し、後番組「桜っ子クラブ」の桜っ子クラブさくら組のメンバーとして本格的にデビューした井上晴美。同年、さくら組の中で最も早く歌手デビューした際には一億円の保険をかけたバスト、黒く長い髪、水泳で鍛えた健康的なボディを武器にアイドルシーンを席巻。女優としても学園ドラマからトレンディドラマまでオールマイティの活躍振りで「ナースのお仕事」シリーズ(1996年〜)は特に印象深い。また、1996年に起きた高知東急(現・高知東生)との不倫スキャンダルも今となっては懐かしい出来事だ。そして1999年、幻冬舎のポスターモデルを経てリリースされたのがこちらのヘアヌード写真集。ポスターの時にスキンヘッドだったので坊主頭は驚かなかったが、予想以上に大きかったバストには度肝を抜かれた。2000年公開の主演映画「フリーズ・ミー」でも裸を披露した。
12 斉藤志乃(桜っ子クラブさくら組)
1999年12月28日
井上晴美にも負けない美乳の持ち主
【初脱ぎ媒体】
「チブサ」1999年12月28日発行 竹書房
1994年4月からテレビ朝日「桜っ子クラブ」の桜っ子クラブさくら組のメンバーに加入した斉藤志乃。番組が8月に終了するとフジテレビ「天使のU・B・U・G」のアイドル交換オーディションに出場、見事に矢部美穂を撃破してレギュラーの座を獲得。また、1996年からはテレビ東京「BiKiNi」に出演し、レギュラー陣によるオムニバス写真集「TV BiKiNi」(1997年)にもキャスティングされていた。こちらの初ヘアヌード写真集ではタイトルにもなったほどのキレイなチブサを披露。井上晴美の後でインパクトは低かったが美乳度では井上にも劣らない絶品ぶりである。2000年公開の映画「カバーガール 深夜番組の天使たち」に主演、ヌードシーンだけでなく初のベッドシーンにも挑戦していた。