(注)初脱ぎの年月日は媒体の発行日に準じています(発売日とは異なります)
01 荒井美恵子
(ギリギリガールズ)
1991年1月24日
グラビアモデル時代
まぼろしのヌード!!
【初脱ぎ媒体】
「スコラ」
1991年1月24日号 スコラ
2005年に初ヘアヌード写真集を発売し、2006年にAV女優に転身した荒井美恵子。初ヌード披露は1992年にギリギリガールズのメンバーとして歌手デビューする前年、グラビアモデル時代に済ませていたことは意外と知られていない。ただし、スコラ誌上でたった1回だけの公開。写真集が1月下旬に発売される旨を最終の見開き頁に告知していたものの実際のリリースはなかった。
02 山崎真由美(おニャン子クラブ)
1991年8月20日
おニャン子解散後はイエローキャブの巨乳アイドルとして躍進
【初脱ぎ媒体】
「Mon Amour」1991年8月20日発行 学研
(写真は「スコラ」1991年8月8日号のパブグラビアから)
おニャン子クラブB組のメンバー。おニャン子解散後、1988年に晴れてソロとして歌手デビューしたものの鳴かず飛ばずに終わる。これは再起をかけた初ヌード写真集のパブブラビアで当時19歳だった。その後イエローキャブに移籍し、細川ふみえ、藤崎仁美らと組んだ巨乳アイドルユニット「Lady's」のメンバーとしてブレイク。以降は裸関係の仕事はなくなった。乳首を公開した写真集は「Mon Amour」だけだが、本作は乳首の写るカットが少なく、パブ用に使用された当カットが載っていなかったりする。
03 白島靖代
1991年10月2日
忘れ得ぬオスカー女優
【初脱ぎ媒体】
「白島靖代 写真集」
1991年10月2日発行
ファンハウス
福田沙紀の主演でリメイクされた映画「櫻の園」だが、1990年度版「櫻の園」で忘れられない女優といったらこの白島靖代。決して主役を張るようなタイプではないがコケティッシュな魅力があった。華奢な身体をくねくね捩らせる様は猫科の野生動物のよう。一応ヌード作品であるが乳首はチラリと見られる程度だった。髪型のソバージュがいかにも90年代っぽいところも懐かしい。その後ヤクルトの土橋勝征選手と結婚した。
04 宮沢りえ
1991年11月13日
芸能史を揺るがす大事件
【初脱ぎ媒体】
「Santa Fe」1991年11月13日発行
朝日出版社
宮沢りえの名前が広く知れ渡るのは1987年に放映されたCM「三井のリハウス」の白鳥麗子役のことだった。「とんねるずのみなさんのおかげです」「スワンの涙」などバラエティ、ドラマに引っぱりだことなり、続いて歌手デビューも飾った。歌手デビューを果たし「ふんどしカレンダー」をリリースした1989年頃がアイドルとして全盛期だった。というのもファーストシングル「ドリームラッシュ 」こそヒットしたものの、セカンド以降の売上は失速。現実的には3Mの他2人(観月ありさ&牧瀬里穂)の猛追を受けていた。多くの人は忘れがちだが「Sant Fe」発売直前の彼女はそれほど安泰という感じでもなかった。本作は新聞にヌードの全面広告を打つという前代未聞のパブリシティ効果で社会現象を起こした。
05 岩間沙織(セイントフォー)
1991年12月1日
最初に脱いだセイントフォーのメンバー
【初脱ぎ媒体】
岩間さおり「ラビリンス」 1991年12月1日発行 大陸書房
1984年にデビューし実質1年程度の活動で解散したセイントフォーのメンバーの中で、一番最初にヌードになったのが岩間沙織である。再起をかけたカムバックヌードといえるもので、名前も岩間さおり表記に変え色白で細身の裸身を投げ出している。発表時の彼女は27歳の女盛り、十代の新鮮な体というわけにはいかないが、元セイントフォーということもあり大きな話題をよぶことになった。なお、同年3月に公開された劇場映画「新・うれしはずかし物語」(DVD未発売)で脱いでいるので厳密に言えば映画のほうが先。
05 鎗田直美
(T-BACKS)
1991年12月1日
Tバックどころか
プレイメイト・ジャパン
として全裸になった
【初脱ぎ媒体】
「月刊プレイボーイ」
1991年12月号 集英社
1991年度のプレイメイト・ジャパンに選ばれ、月刊プレイボーイ誌上でヌードを披露。その後セクシーグループのブームが到来し、1993年にT-BACKSのメンバーとしてデビュー。ヤリヤリのニックネームで親しまれた。彼女の場合は脱いだ後にアイドルとしてデビューという珍しいパターンである。グループ解散後は女車券師として全国各地の競輪場で活動。競馬じゃなく競輪ってところが渋かった。